常体か敬体かそれが問題だ。
- 作者: 石黒圭
- 出版社/メーカー: 明治書院
- 発売日: 2007/10/01
- メディア: 単行本
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よって、ブログを書くにあたっても文体はどちらかに固定しなくてはならない。
そこで私はひどく悩んだ。いや今でも悩んでいる。どっちを使うべきか決めることができないのだ。
常体だと、尊大になるし、敬体だと卑屈になる。実際は違うのだろうが、私の中にはどうもそのような区別がある。
頑張って見方を変えよう。このようにも捉えることができる。常体は「自分の思考をただ吐露したいという感情に基づく、気を使わない文体」、敬体は「自分の事を誰かに知ってもらいたい感情に基づく、気を使った文体」というのはどうだろうか。つまり、常体は独白用、敬体は語りかけ用となる。
いや、ちょっと待て。世の中には常体で語りかける文章も、敬体で独白する文章もあるではないか。ならば、私の思う常体=独白、敬体=語りかけというのはただの思い込みか。
では、とりあえずこの思い込みをそのままにするならば、このブログ自体が「独白」なのか「語りかけ」なのかをはっきりさせれば、文体もおのずと決まるのではなかろうか。
つまり、誰かに読んでほしいのかどうなのかで文体は決まる。
敬体で頑張ります。